初めまして、こんにちは。
「太る方法まとめコラム」サイトを運営している中村です。
何を隠そう僕も昔から太れない体質で、ガリガリ人生にずっと悩んできました。
僕と同じような境遇の方たちのお役に少しでも立てればと思いこのサイトを立ち上げました。
そんな僕の人生の、太る方法が見つかるまでをつらつらと綴らせていただきます。
1986年5月広島で僕は産声を上げ、2850gと少し小さかったものの温かい両親に見守られながらすくすくと育ちます。
ガリガリへの目覚め
小学校4年生になったころ僕は地域の少年野球クラブに入りました。
仲の良い友達が先に入っていたからという理由で、ほぼ遊び半分だったので楽しくてしかたありませんでした。
ですが、5年・6年生になるにつれて「レギュラー争い」という出世争いの縮図のような闘いが始まります。
僕は正直レギュラーには興味がなく練習ができれば良かったのですが、なぜかキャッチャーに大抜擢。
小学生の時から太りにくい体質で、普通に3食食べているのにガリガリだった僕が、なぜキャッチャーに選ばれたのか謎過ぎました…
キャッチャーというポジションはピッチャーの投げた球を受け取り、ホームベースを守る守護神のような存在です。
少年野球なんて、デブがだいたいやるポジションなのになぜガリガリの僕が…
別に人数が足りていないとかではなく、重量級は他にもたくさんいました。
これは嫌がらせか?
と思いつつ練習に励むもこれがかなりきつかったです。
キャッチャーは唯一、防具を身に着けるポジションでマスクやヘルメット、足につけるレガースなど、夏なんてとんでもない暑さになります。
ただでさえガリガリの僕はさらに痩せていきました。
副キャプテンに任命
6年生になったころ、僕はキャッチャーとして定着していたのですが、チームメイトからは「なんでお前がキャッチャーなん?」「おかしくない?」と散々言われていました。
小学生は残酷です。ストレートに僕に言うもんだから、結構傷ついていました。
そして、さらなる事件が起きます。
なんと僕が副キャプテンに選ばれることになったのです。
理由は「マジメだから」
当時の監督をぶん殴ってやりたいです。
キャッチャーに選ばれたり副キャプテンに任命されたり、監督なりの意図があったんでしょうけど小学生の僕には分かりませんでした。
それは当然チームメイトも同じ気持ちで、ガリガリの僕がキャッチャーの上に副キャプテン。
「なんかムカつく」。短絡的な小学生の感情をこうなるのです。
さらに、追い打ちをかけるように試合では全く活躍せずミスばかり。
そんな僕にイラつき、イジメとまではいきませんがちょっとした嫌がらせが始まります。
グランド整備を多めにやらされたり、試合の日に道具を持たされたり…
「僕がガリガリじゃなければ」「もっと太っていれば」と、このときとても悔しい思いをしたのを今も覚えています。
それに成長期の真っ只中だったので「食べたら太る」と僕も両親も思っていましたし、太る方法なんて他に考えたこともなかったです。
新天地「福岡」へ
僕の小学生時代はこうして幕を閉じることになるのですが、このあと親の仕事の関係で福岡に引っ越すことになったのです。
心機一転、新天地での生活に僕はワクワクしていましたが、言いようのない不安も同居していました。
「太れない体」「意味不明な監督」「少年野球でのイジメ」
人生の歯車が少し狂った感覚を覚えながら、暗黒の中学時代へと続きます。